世にも奇妙な物語データベース

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おじいちゃんの恋文

放送回 1990.9.20
キャスト 大滝秀治
脚本・原作 小林竜雄

孫の名前と年齢で女子高生と文通をしていた平八(大滝秀治)だが、昔好きだったユキコにそっくりな文通相手・美樹と明日会う事になってしまった。

服装を変えたりして何とか若く見せようとするがどうしようもない。観念して正直に自分が老人だということを白状しようと決意したのだが、会う当日、平八は大福餅を喉につまらせて意識を失ってしまう…。

目を覚ました平八だが、辺りは霧に包まれた真っ白な空間だった。
「すまん間違えた。あんたはまだ死んではいない」
という声が聞こえる。
「少なくとも夜までは生きられる。この頃よく人が死ぬもんで忙しくてな…疲れたよ。今日はこれで二度目だ。さっきお婆さんを死なせてしまったのだ。だから戻した」
話の内容からすると、どうやら天国の神様らしい。
死ぬ前に孫の身体にして欲しい、悔いを残して死なせたくないと願う平八に、
「さっきのお婆さんも同じ事を言っていた。男でも女でも人生に悔いは残るもんだなぁ」
と呟く神様(タモリ)。

生き返った平八の身体は、孫の誠の姿に変身していた。思わず「やったぜ」と喜ぶ平八。彼はそのまま外に出て、文通相手に会いに行く。

美樹と楽しい時間を過ごした平八は、別れ際に「僕は美樹さんが好きです」と告白する。
「私も誠くんが好きよ」
「ありがとう」
「私も、ありがたう。…また会えるかな」
「それは駄目なんだ。今日が最初で最後なんだ」
自分の命がもう残されていない平八は、美樹にそう言い残して走り去る。帰宅後、自分の部屋で息を引き取る平八…。

一方、帰宅した「美樹」は自室で満足げに鏡を見つめている。そこへ、もう一人の美樹…本物の美樹が帰って来た。

「おばあちゃーん、帰ったのね?」

玄関で声をかける孫娘の美樹。
自室で息を引き取る「美樹」…老婆。
そう、彼女も又、美樹の姿を借りて平八に逢いに行っていたのだ…。老婆は誠そっくりの写真を握り締めていた。

コメントまとめ

大滝さんの出る話はええのう…。

「おばあちゃん」 とセットで見ると両者の老人の性格の違いが顕著かも?!

大滝さんはいいですね♪
話も感動しました!!?

ちょっとこの話、泣いてしまった・・・

この話大好き

この話大好きです。

放送されてから何年もたっているのに、いまだに覚えている話です。もう一度みてみたいです。

もう二十年近くも前のドラマですが、未だに覚えています。

じいちゃんと孫の過渡期。つらいです。。。こんな恋愛したいです。してるか。でも、いい話だよね。

20年も前だけど今でも覚えています。
一番好きな世にも奇妙な話かも。

孫の身体になったおじいちゃんが、本物の孫とバッタリ顔を合わせるんですよね。驚く孫に対しニヤッとするおじいちゃんが面白かった。

DVD化してほしい

私もこの話大好きです。
子供の頃に見た話だけど、凄く印象に残っている。
この頃の世にも〜大好きだったなぁ。
大滝さんの演技が素敵でした。

先ほど大滝秀治さんのお別れ会のニュースを見ました。
真っ先に思い出したのがこのエピソードです。
名優、大滝秀治さんのご冥福をお祈りいたします。

タンポポといいこれといい大滝秀治は喉に餅を詰まらせるな

おばあちゃんのあとに見たので、これもまた胸糞展開かとびくびくしたけどまさかの感動系だった。

ぅぎゃぁ。お互いが嘘を付き、
孫に協力してもらったのね

リメイクで見れたらいいなぁ

おじいちゃんが、赤いポロシャツを買ってきて懸命に若くみせようとしていたのが、泣きそうになるほどかわいかった。

大滝秀治さんのはっちゃけぶりが微笑ましい
若者が聞いてる曲で松任谷由実の「リフレインが叫んでる」ってところが時代を感じる。
タモリはシルエットの登場だが出番は多め

大滝さんが赤シャツ着て鏡に向かって「イエイ!」って言ってたのが印象的。

短くて分かりやすく、でもロマンチックで印象に残る話だった。
孫と鉢合わせるシーンで笑った。

おばあちゃんもたまたま当日亡くなって孫の身体になれたのに事前に手紙で「会いたい」と書いたのはなぜか?老婆のまま会う気だったのか?
さらにもう会えないとわかっているはずのおばあちゃんから最後に「また会えるかな?」といったことも謎。
どうしてもこの辺が疑問に残ってしまう。けど満州にわたって亡くなったというのは恐らく間違った情報だった。数十年経って再会してお互いあの瞬間をやり直したと思うととても感動した。

たとえ自分が老婆の姿でも、ずっと忘れられずにいた男性の生き写しであるかのような彼に会いたかったのではないか。じいさん側も恐らくそんな気持ちだったろうし。
そして、別れ際にまた会えるかとわざと尋ねて、もう会えないという返事を聞くことで、やはりこの人は「彼」なんだということを確認したかったのではなかろうか。

「会って」の手紙に動揺して文通を後悔したことからじいさん側は老人姿では会いたくなかったでしょう。そしてばあさんも孫の姿になれたのは約束当日であることから、それまで彼の事も「似ている人」としか認識していないはず。そこにおばあさん自身も神の手違いにより孫の姿になれて「もしや彼も」という発想が生まれたのかもしれない。そう考えると手紙で「会って」はやはり引っかかる。ただ最後の「また会えるかな?」が「彼」の確認の為だったのかは鏡台の前の最後の笑顔が物語っていたように思いますね。

・見た目がそっくり
・ありがたうという旧仮名使い
・自分自身も孫のふりをして文通している
・苗字が同じ可能性は高い
・もしかしたら住所も同じか近いかも
下2つはかもしれないってだけだけど、ユキコが文通相手を平八かその親族だと思って会おうとしてもおかしくはないと思う
下のコメントにあるように最後の笑顔はそういうことでしょう

君の名は。に似てる

主人公の御爺さんも彼女の御婆さんも共に悔い無き人生を果たせて何よりないいラストだったが、息絶えた際の曲が何かサスペンスっぽい曲調だったところに少し違和感を抱いたものだ
当時の製作陣はラストの切なさと一緒にその違和感も味わって貰おうという狙いだったのかな

ストーリーテラー

「過去をもう一度やり直してみたい。これもまた人間の悲しい願いなのかもしれません。まったく貪欲なことです。私には、悔いがあるからこそ人生じゃないかと思うんですよね。これはちょっと、かっこよすぎました。本音を言えば、私にだって過去のあの時に戻ってもう一度人生をやり直してみたいのです。どこかって・・・。それは秘密ですね。」


なるほど、時間に関する話がテーマだから背景が時計屋だったんですね。

何歳に成っても恋心を抱く。良いですね。この物語だと御爺さんは孫に成り済ましていたって事だけど、文通相手も孫娘に成り済ましていた…御爺さんと御婆さんは満足そうに亡くなる…後に残った二人の孫が付き合う様に成ってめでたくゴールイン…と言う事に成らないかな

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