放送回 | 2003年 秋の特別編 |
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キャスト | 八嶋智人/桜井幸子 |
脚本・原作 | 小松左京『影が重なるとき』 |
『一日かがく教室』が開かれ、そこに集まった子供達に研究員の津田(八嶋智人)は、子供達に虹の正体を教えようとして少女達の反感を買ってしまう。その話を恋人の由里(桜井幸子)に話した津田は、「女の子の気持ちをわかってない」と笑われてしまう。
虹に夢を感じていたいという女の子の気持ちをわかっていないのだと。
自らの体験を交えて語り始めた由里に、それでも科学の大切さを訴えようと、津田が話し始めたとたん、突然由里が震え始めた。
みるみる蒼ざめてゆく姿に思わず「大丈夫か」と声を掛ける津田だったが、「来ないで」と拒絶する由里。
後日話を聴くと、由里は自分の幽霊を見たのだと言う。その幽霊は微動だにせず、顔は微笑んでいるのだと言う。彼女は突然10番目の惑星について語る。地球の軌道に近づいていてもしかしたら衝突が起こる可能性があると。
きっと彼女は疲れているのだと思う津田だったが、今度は同僚が「俺にも自分の幽霊が見えた!」と騒ぎ始める。
津田には彼の指し示す方には何を見えない。彼もきっと疲れてるんだと思ったが、その同僚が何もない空間に向かって投げたボールペンは、まるで何かに当たったかのように弾き飛ばされた。
津田は思わず驚く。確かにそこに何かが存在しているのだ。
やがて町中で「自分がそこに居る」と騒ぎ始める人でパニックになっていた。津田だけが自分の幽霊を見つける事が出来ない。
津田と同僚は、固まっている自分の身につけている時計がほぼ同時刻4時40分で止まっている事に気づく。
そこに怪しげな老人(大杉漣)が現れる。同じ空間に同じ物質は存在出来ない。自分の幽霊(影)は違う時間の自分を象徴しているのだと話す。
影はいつの4時40分の影なのだと問う津田に、一人の女の子が「今日だよ」と話しかけてくる。その女の子の影は、今日の日付の入ったスケッチブックに虹を描いていたのだ。
今日の4時40分に一体何が起こるのだ? 津田は最初に由里と一緒に居た河原にやって来た。そこで津田は自分の影を見つける事が出来た。顔は空の方を向いて微笑んでいた。
そこに由里がやって来て、「私の影もあなたのそばに居る」と言う。
二人は気配に気づき、空を見上げる。「・・惑星の衝突じゃ無かったのね」と諦めたようにつぶやく由里。絶望の表情でその場に崩れ落ちる津田。「どうして人間は繰り返すんだ!」
東京の上空をよぎったのは、核ミサイルだった。
最期の瞬間、空に虹が出ていた。
津田と由里は、その美しい虹を見ながら二人で最期を迎えようと、影の方へと微笑みながら歩み寄った。「また生まれ変わったら一緒になろう」と。
自分と影が重なる時。そして・・。
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コメントまとめ
一番好きな話です。
わかりにくい? 理解力がないだけです
そうですね。理解力とはすこし違う気もしますが、わたしはこれは名作だと思います。子どもの演技もうまいし。特筆すべきは大杉連のすべてを総括するような言葉。
この話はなぜか印象に残りました。結末が悲惨だけどキレイに締めくくられてて最後の白黒写真がとっても印象的。 しかも、「東京に核」ってありえなくないからちょっと怖いですね。好きな話です。
放映から3年たっても唯一忘れられない話でした。少し難しいけど、心に迫ってくる何かがありました。
もし本当にあったら、町中は本当にパニックだと思った。
感傷的になれます。桜井幸子がいい味。大杉はさすが。
この話大好きです。 たぶん一生忘れないでしょうね。
この話が一番好きです。最後は感動します。
傑作のひとつです。
何故、今(03’)になってこの作品を?と疑問を覚えました。 原作が書かれた時代、お若い方には想像が付かないと思いますが、世界は本当に、核による滅亡の恐怖に怯えていたのです。 その下地があったからこそ読者は、悲劇に抗えない事の虚しさに同調できた。 無論、現代に於いても核の恐怖が消えた訳ではありません。 しかし今「いつ頭の上に核ミサイルが降ってくるか解らない」と思っている日本人なんて、殆どいないでしょう? その穴を埋めようとしたのか、惑星衝突云々で恐怖感に現実味を持たせようとしたようですが、余計に荒唐無稽になってしまいましたね。 ラストで強引に核ミサイルに話を戻して来た時は、申し訳ないけど笑ってしまいました。 原作のコンセプトを生かしたいなら、現実にありそうな爆破テロ(破滅範囲は小規模になりますが)とか、寧ろ大風呂敷を広げて、惑星衝突で地球滅亡にでもした方が、感動できたと思います。
名作です。
この話を見て、一週間不思議な気分が抜けなかったなー やや話がわかりにくかったかもなー この話の結論は この宇宙の中で、この星で産まれて生きてき事が大きな奇跡だ!! という事。 そうゆうメッセージに気づけば感動できると思う
八嶋氏の演技力に感服。
「どうして繰り返すんだ」のあたり良いですね〜
たしかに分かりにくって人は理解力ないなーと思いました。
何かちゃっちかったイメージしかない
どうして未来の一時点の影だけ現れたの?
八嶋のオーバーな演技には笑ってしまった。
少し注意して見ないとおいてけぼりにされる展開かもしれませんが、
最後の二人のやりとりは好きです。
劇中で語られる理論云々については、味付け程度に考えるのが吉かと。
感動はできませんでした。
主人公たちが最後ポジティブな気持ちなのはいいけど、核爆弾という脅威を前にポジティブも恋愛も何もないと思います…
原作が伝えたかったのは、人間や恋愛関係の素敵さではなく核の恐怖ですし…。
物凄く後味が悪くて、それも世にもらしくない感じの後味で、思い出すと苦々しい話でした。
綺麗な話だとは思います。
隕石だけでなく核ミサイルだった、と言うオチで良かったと思います。
個人的には最後は蛇足。
(まあ、最後の奴が無かったらタイトルの意味が無くなってしまいますが)
やはり,核ミサイルの唐突感が否めませんでした.核ミサイルのCGの出来がもっとマシだったら,★2つぐらいは付けられたかもしれませんが.
核ミサイル一発じゃ,東京は滅ぶかもしれないけど地球全部が滅びるわけではないので,せっかくの「この星に生まれてきたことが奇跡」というメッセージが台なしだと思いました.
「東京=この星」だと思っているの?なんて狭量な・・・と思ってしまいました.人間の愚かさが原因で惑星衝突するストーリーの方がずっとずっとよかったです.
ビジュアル的に素晴らしかっただけに(核ミサイルのアニメみたいなCGには目をつむろう)、ストーリーの中途半端さが目だってしまった感じがする。
やはり人類滅亡っていう最後が相応しいのではなかろうか。
自分の影が見たいなー…なーんて…
なんかMr.Childrenの曲が流れてきそうな作品。(こう書くとチルヲタとか言われそうだが) 後悔の表情の大人たち、何も知らない子供。 「人間は、何度も振り出しに戻る」という八嶋の言葉が印象的だった。 「東京だけでなく人類滅亡させたほうがよかった」という意見があるが、俺はそうは思わない。 なぜなら、カタチは違えど、この話はノンフィクションだから。 かつて、争いで理不尽に殺された人々は、きっとこの話の影となった大多数の人達と同様、恐怖と後悔の表情を浮かべて死んでいったのだろう。
実はこれは「ターミネーター」のジャッジメント・デイだったというオチだった。
最初から最後まで星氏の「午後の恐竜」にうりふたつな話でした。
こんなことしていーのー?
二番煎じはかっちょわるい
恐ろしくとも美しくとも感じた話。
忘れられない話の1つ…。 『どうして人間は繰り返すんだ!』って言葉が忘れられませんと言うか…忘れられないくらい、テロとかミサイルの話があるんですよね。 どうして国々は戦おうとするんだろう?
個人的に話の全体よりも主人公の友人が自分の「影」(があるところ)に向かってボールペンを投げると何もない空間でボールペンが何かにぶつかったような動きをしたシーンや
天秤の「影」の上に天秤を載せるシーンが印象に残っている。
この話プロローグかエピローグあるんですか?
とても面白い作品の一つだと思う
不思議で共感が出来ました
これは以前の暗いカンジの「影の国」と似てはいませんが
より世界的な内容でしたね!
世にも奇妙な物語のSF「影」といえば
やっぱ桜井幸子さんと大杉漣さんなんですね!
八嶋さんの感動的な演出も久しぶりに見ました!
「影の国」と「影が重なるとき」には何か接点があるのでしょうか?
ラストシーンが幻想的でした。核ミサイルの恐怖と、何も知らずにきれいな虹を見て喜ぶ女の子の無邪気さの対比が印象に残っています。
真相をある程度知っていて絆を確かめ合えた主人公たちはまだよかったと思いますが、大部分の人は訳が分からないままただ無意識に自分の影と重なって最期を迎えたのだろうなーと思うと、単純に感動系の話とは言えない気がします。
この話、個人的には数ある作品の中でも
かなり感動した話だったのに「感動系」になかったので
どこにあるのかずいぶん探しました(笑)
なぜか忘れられず時々思い出します、私は今でもミサイルはいつか飛んでくるかもしれないとどこかで思っている人間だからでしょうか
一応
午後の恐竜:1968年6月「小説現代」
影が重なる時:1963年10月「SFマガジン」
私は「午後の恐竜」の方が好きだが、ろくに調べもせずに二番煎じ呼ばわりはどうなのかね。
影が重なる時そして
映像がモノクロで止まり
核の爆風の音と核の嵐の音が印象的だった
ネットのおかげで発言することの権利と責任を完全に忘れてしまって失礼かどうかも分からないんだろうな
いやネットじゃなく本人のせいか
意味があんまよくわかんなかった…
子供のころに見たのに、今だに記憶に残っています。しかも結構鮮明に。子供ながら、感動してしまいました。
これはSFじゃなくてシュール系にしたほうが良いかと思う。
見た時にテレビの前で「は? それで終わり?」ってなったもん。
昔見たときは面白くなかったですけど、今見てたら傑作だなと思いました。なんか忘れられない、
これすごく好きです
どうしようもない絶望の中でこそ、当たり前にあったことが愛しく感じる
悲しみの中にも、一筋の光があるということでしょうか
悪い意味なのかいい意味なのか「感動」してしまいました
でも純粋な感動ではなく、世にもらしく退廃的で、悲しくせつない感動でした
こんなに美しい悲劇、この作品でしか表せない。
ラストが読めない衝撃度200%!!
これは当時子供のころ
ものすごい衝撃と感動と美しさを感じたのを今でも覚えるなぁ。
これ観たとき鳥肌たったな。
核ミサイルの合成レベルが雑コラ並で台無しだわ
影が出てくるのも意味不明だし、これなら冥王星が実は別次元のパラレルワールドと繋がっていて
それと共鳴したために影が出たとかの方がよかったろ
エンディング
タモリがオープニング(「鍵」本編前)でいなくなった女の
部屋に帰ってくる。
「人間というは自ら進んで怖いものを見たがる
という物好きな生き物ですね。わざわざ求めなくても、
この日常は恐怖に満ちているのに…。
くれぐれもお気をつけください。あなたの周りにも、
奇妙な世界へ通じる扉が至るところに存在しているのですから。」
再びリモコンを変える。
すると、タモリがテレビ画面の中にいる。
「くれぐれもお気をつけください。」
タモリがテレビ画面の中から立ち去る。
やっと見つけることが出来ました。
ガキの頃に見たドラマの映像が、断片的に残っていて・・・。
記憶をたどって物語を思い出して、この内容は、多分、世にも奇妙な物語のどれかだと・・・。
今になっても、なんとなく心に残っていて、印象的な物語でした。
幼い頃観て、不気味なほど笑顔な八嶋さんの影がとても印象に残っています。
未だに断片的ではあるものの当時この作品を観た際の記憶がフラッシュバックしてきます。下のコメントにもありますが心に残る、そんなドラマでしたね。
再放送してくれないかなぁ
あの虹と影は、間もなく避けようのない悲惨な最期を迎える前に、せめて大切な人と共に美しい物を見て束の間ながらの幸せな一時を過ごして欲しい‥‥という奇妙な世界による粋な計らいだったのかも?などと今更ながらに思ってみた
「世にも」が放送されるたび、幼い頃の記憶の中にこの作品の断片が浮かび上がります。(当時のチープなCGのラストが特に。今思いだすと笑えてきますが)
余程衝撃的だったのでしょう。トラウマに近いですが、「世にも」の作品の世界観に夢中になったきっかけでした。自分の影(反物質)がみえそうなご時世。見えない事を祈ります。
桜井幸子、元気にしてるかな?
なんかやたら頭に残ってる話だ
核ミサイルね。日本に落ちたら凄い事に成るだろうね。悪い意味で。そんな話は兎も角として、自分の幽霊に会ったって言うのは死を意味していたんだね。そして時計が四時四十分で止まっていたのはその時間に核ミサイルが…