世にも奇妙な物語データベース

検索結果に戻る

影の国

放送回 2003年 春の特別編
キャスト 桜井幸子/大杉漣
脚本・原作

若桜萌(桜井幸子)は診療所に勤める心理カウンセラー。その日も診療所に足を運ばせ、パソコンでクライアントのデータをファイリングする萌。しかし、フォルダに整理していくうちに、覚えのないクライアントのデータを見つける。
カウンセリングの模様を映したVTRを見てみると、確かに自分と、身に覚えのない患者(大杉連)の姿が映し出されていた。
VTRを見続け、画面の中に映る男の言葉に引き込まれてい萌。
「影の世界」
男が語るその世界。神妙な雰囲気の中、自分もそこの住人だと言い出す始末。萌は、その男の心理状態がうまく読み取れないまま、VTRを見続ける。
次第に男は立ち上がり、影の世界を証明させるために、自分が一度、影の世界へ行ってみると言い出す。
VTRの中で混乱する萌。VTRの画面を見つめる萌も怖くなり、一時停止し、椅子からのけぞる。

「何で私、こんな男のこと忘れたの」
その時、後ろに気配を感じる萌。萌が振り向くと、あの男が立っていた。
「---うれしいな---やっぱり先生見てくれた」
実は、男が萌とカウンセリングをしていたのは、つい一時間前のことだったのだ。男が影の世界に行くことによって、男の存在が消え、萌がカウンセリングしていた記憶も消えていた。唯一残されていたのは、パソコンのファイルに記録されたVTRだけだっのだ。
「もうすぐですよ先生、私が影の国に戻って、観測を終えてしまうのは---。それと影たちはね、待ちきれずに、人間に手をかけて遊び始めたみたいですよ」
男の言葉に、恐怖を感じ始めた萌は、診療所から逃げ出し、自分のマンションの一室に帰ってきた。
  ―――恋人のあきひろがいなくなっている!―――。
呆然と立ち尽くす萌。また妙な気配を感じ、後ろを振り向く---。
部屋の隅に隠れていた人陰が、こちらにちかずいてきた。

あれから何日たっただろうか---。萌は自分の身に起こった出来事を、パソコンの文章に記録していた。もし、あの男のことを忘れても、記録に残しておけば、このことを誰かに伝えることができる。指を走らせる萌。
「そして、また、この行為は、私が意識を持ち続けているということを、自らに証明することの意味でもあり、こうして記録を続けている私は今も確かに存在---」
その瞬間。萌の存在は消えていた。吸いかけのタバコがキーボードの上に落ちている。

コメントまとめ

原作は小林 泰三。

桜井幸子がエロすぎる、まともに見れん・・・w

深い。深い世界だ。大杉連がすばらしい。世にもで1か2を争う名作中の名作。

これ、主張は結論ではなく、前半の懐疑論の話ですよね。 5年前位にこの手の疑いに気付き、無性に嬉しくなった自分を覚えています。 世にもにもこのネタの作品があったとは・・ちょっと感動・・w あと蛇足かも知れませんが、この疑問に関心を抱いた方は「酔歩する男」を読んでみては如何でしょうか? 「影の国」のあの方の作品です。 モット小林先生の作品、世にもでやってホシィ・・

桜井さんと大杉さんが対峙する場面の雰囲気が好きです。私的にはベストキャスティング。 見終わった時は「なんだこりゃ?」でしたけど、ここの過去ログでやってるように、ああでもないこうでもないとか、いろいろ考えて議論するのがこの作品の楽しみ方なのかもと思いました。

馬鹿な自分には全くわからなかった・・・ 怖い怖いという意見もありますが、 そういう点はあまり感じませんでした。 大人になったらまた見返したいです。

大杉漣がまばたきをしてないのが怖い。

け、け、け、傑作だーーー!!!

最後の方に、壁の影がくねくね動くのって、これでしたっけ?

難しい話でしたが、テーマとか雰囲気は大好きな作品です。

ただ、男が観測を措いてしまうことでこの世界が存在しなくなるのなら、
なぜ主人公をはじめとする人間の存在だけがなくなって、建物とかパソコンは
残ったままなのかなとか思いました。
存在しない世界というのは映像で表現できないからそうした演出にしたのかなとか、
それとも世界とは人間のことを指しているのかとか・・・

色々考えることのできる、深い作品だと思います。

大杉漣は奇妙のいろいろな作品でいい味を出している。これも素晴らしい。 桜井幸子が画面の中の大杉を見る場面は、声に出すのではなくて心の中で語ってほしかったけれど。

見た当時は人が消えるということが単純に怖かった覚えがありますね。
多分主人公が消えたのはあきひろの消失も少しは関係しているのではないかと自分の中で考えてみたのですが、どうなんでしょう。
要するに主人公を観測していたのがあきひろであって、あきひろを観測していた何者かの存在が消え、その結果主人公も消失してしまったのではないでしょうか。
まあこの作品は色々な見方があるとおm



これは、最初主人公の彼氏が、話しているのに、主人公は聞く耳持たないのです。
大杉漣さんと同じ状況であったときに影とあってしまったので彼氏は消えてしまった。最後に主人公も同じ状況になったということです。これは、存在するものを存在しないものにしてしまう世の中によいストーリーです

そーいえば大杉漣さんといえば佐野史郎さんと共に世にもの常連でしたよね!昔は脇役でもカナリ出演していた記憶があります。「女はいきていた」で刑事役でも出演していました。渋いですからね、刑事役とかハマり役ですよね!でも私はその中で1本!「影の国」が私の中では中々の傑作でしたね!漣さんがいい味出してましたよ。あの不気味な男の役は漣さんにしかできないのでは!あ、なんか来月2日に秋の特別編やるらしいですね。主演は城島茂さんや阿部サダヲさんらが出演するらしいです。城島さんのが「自動販売機男」とかいって恐らくコメディー?銃男や逆男につぐ○○男シリーズできましたね!今から楽しみでーす

某所で映像見てきたのですが、
解釈が難しいですねぇ・・・

恋人は最初「最近相手にしてくれない」みたいな愚痴を言ってましたよね?と言う事はあの患者と同じ「誰からも無視される、厄介者扱いされる」境遇だったと解釈できると思うのですが・・・でも彼が自ら存在を消して影になったとしたら主人公の記憶から消えるはずだし・・・消えた事に気付いた直後に出てきた影は恋人の姿とも受け取れる気が・・・

あるいは1人でいる間に「人間に手をかけて遊び始めた」影の側に引っ張り込まれたとか?そして1人ぼっちになった主人公も同じ運命を辿るとか・・・

帰ってきた主人公に影が見えたのは
、患者の影の国の話を聞いたからとも、存在を認めてくれる人がいなくなって影に近づいたからとも受け取れますよね・・・患者は自分の存在を消せるようになって初めて影や影の国を認識したと言っていましたし・・・

うーん、考えるほど分からない・・・

ここ最近の世にもでは1,2位を争うくらい好きな話です!!大杉蓮がビデオの中で話す存在についての難しい話はおそらくデカルトの哲学の引用だと思います。でも、まさかバッドエンドになるとは...最後に現れた影の人のぎこちない動きがとても怖かったです...

小林泰三の、あの独特の雰囲気が映像で味わえた…
それだけでもうヨダレものです。

おもしろかったです。初めて見たときは「え?」って感じでしたけど。見れば見るほど味が出てくる。

主人公と男のやりとりにはゾクゾクさせられた。存在とはなんなのか。
男は、だれからも観測されなくなったから存在しなくなってしまったのか。主人公の記憶から男が消えたのは男が影の国に行って主人公から観測されなくなったから?主人公が存在しなくなったのは男からも恋人からも観測されなくなったから?いろいろ考えさせられますがまたそこがいいですね。

この作品の解釈が難しいと感じる方には原作を読むこともオススメします。以下は原作の一部。

「観測するものと観測されるものは観測が始まった瞬間に相互作用し、一体化します。観測するものと観測されるものの間には区別がないのです」
「観測できるものは存在します。そして、観測できないものは存在もしない」

コメントで「デカルトの哲学の引用」とありましたが、哲学で言うならフッサール〜ハイデッガーの存在論かと。しかし、小林泰三ということで元ネタは恐らく量子力学の不確定性原理の議論でしょう。
そのあたりに注目したのはおもしろかったけど、後半のストーリーが強引で萎えました。

まぁ〜私みたいに普段まったく哲学を勉強しない者ならともかく、すこしでも哲学に詳しい方やその道に精通している人ならば、こういう作品は物足りなく感じてしまうのでしょうね。
この作品のラストも原作とはかなり違っていますし、私のような一般視聴者向けにわかりやすいように脚色されたんでしょう。

原作は、小林泰三の「脳髄工場」に、収録されています。 角川ホラー文庫所属

プロローグ 「子供のころ、あなたは闇を恐れていました。夜遅く、わずか10m先の道端にごみを捨てに行く親を尊敬していました。そしてあなたは今その大人になり、もう闇を恐れません。しかし、じっと闇を見つめてください。それはまだ、そこにいます・・・」 じわじわとくる恐怖感がとてもよいと思いました。最後あたりの影と、BGMがぞわぞわしました。

これは良かった!最近の「世にも」はネタ切れ感がするけど,これは後期の作品のなかでは間違いなく最高傑作の一つだと思う。

小説で以前読んだ事あるけどまさかこれを実写化するとは、てな感じだな

この話はここ数年の作品の中では一番記憶に残っています。
「存在がなくなる」という虚無感は、真の恐怖に繋がると思います。

主人公がちょっとうろたえすぎw

これ多分小林泰三さんの短編が原作だよね?
まさか実写化するとは・・・w

この作品に出てくる影の国というのは、いわゆる「パラレルワールド」のことなんでしょうか。

原作の「観測できるものは存在します。そして、観測できないものは存在もしない」という言葉には納得させられました。
信じる信じないは別として、幽霊みたいなものなのでしょうね。
見える人の世界には存在するし、見えない私の世界には存在しない。

人間の一番の欲求は「認められたい」というものだと聞いたことがあります。
この作品はそんな人間の欲求を揺さぶる恐怖感が堪らないんでしょうね。

何人かの方もコメントされていますが、あの「影」良くできてますね。あれだけでも十分不気味で怖いです。

小林 泰三原作だけあって、ラブクラフトの「時間からの陰」等の、
異世界や未来からの見えざる介入を描いたSFホラー小説もモチーフにしてるんだろうなぁ…と思います。

小林先生のクトゥルフネタは『玩具修理者』が有名ですが、この話の影(=異世界の存在)が“待ち切れずに”
現実世界への介入を始める件からして、明らかにラブクラフトの”宇宙的恐怖”を意識しているなぁ…と妙に納得したものです。

影の動き方が不気味だった…

存在が消えてしまうのならデーターも消えてしまわないと矛盾っていうか物語が物語として成り立たない気がする

最初からいなかったことになる神隠しってさ、完全に過去が改竄されるわけじゃないんだよね。
例えば、誰のかわからない靴が残ってるとか、集合写真で一人分の空間が不自然に空いてるとか。そういうなにかを匂わせる傷が必ずある。逆に言うとその傷がないと誰も何か起ってることに気づかない訳で、そもそも神隠しっていう怪談が成立しない。

この作品だけは何回もみたなー傑作です。

なんかよくわからない

観ていないのに、なぜくだらないと分かる?

妙に記憶に残った作品だった。始めて見た時は意味がわからない怖さがあったが、改めて見るとSFチックな怖さがあり、二度おいしい作品

これは見てみたい かなり面白そうだ

原作を読み、初めてこちらを知りましたが、大杉漣さんの笑い方が原作通りで素晴らしいなと思いました。

作中で影とは単に例えでしかない。
本題は観測されない世界の存在の有無である。
私が今、実際に見たり聞いたりしていない者や物、世界は存在しない。
私が、観測し初めてそのものたちが生まれるのである。

やべええええ!超久しぶりの神回キターーーー!!
面白かった!こういうの好き!

自分(主観)の見た世界=存在する世界
自分(主観)の見えない世界=存在しない世界

だから例えば地球の裏側で生活している人はいるが
自分が彼らを見たわけじゃないので彼らは存在しない
しかし彼らの見た世界からすると自分も存在しないってことかな?
「存在とは何か?」という哲学的テーマを扱ったいろいろ解釈させられる作品ですね

原作買おうかな

黒沢清の「回路」にめっちゃ似てるし回路の方が早い

シュレディンガーの猫

この回すげー……。
これは、子供がみたら意味分からん回だと思うが
今年月重ねて改めて見ると、意味が深くわかる……
意味分かったのと、同時に鳥肌がたったw

最後の「存在」の部分、ひらがなで漢字変換されてなかった。

エンディング

今夜の5人も本当に些細なことから奇妙な世界へ招かれてしまいました。
何が原因で奇妙な世界が訪れるのか?全く予測が出来ません。
…えークション!私が2時間程前したくしゃみ、
今頃は何処かで竜巻に変わってなきゃいいんですがね…。
(すると雨が降り始め、タモリが傘をさす。)
庫内あれば上は無し、お気を付けください。
(雷鳴が響き、スタッフロール。)

藤崎竜の短編集でも似たような話があったな

影の国が誰かの主観の中に存在するものであるなら
この現世を含めたあらゆる存在もまた誰かの主観の中の存在でしかない

誰も現世の確かさを証明できないし 誰も影の国の不存在を証明できない
それに気づいてしまった主人公も影の国の住民に…

って感でしょうか?
シュレティンガーの猫や邯鄲の夢なんて言うワードは浮かんできたけど、今一ピンとくる解釈が当てはまりませんでした

よく世間で、人は二度死ぬ、などと言われますよね。
一度目は肉体が亡びたとき。二度目は誰からも忘れさられた時。
その二度目の死とは、このドラマの言葉でいえば
存在そのものの消滅。つまり、始めからもともと
存在すらしていなかった事になる、のかもしれませんね。
ひょっとすると。
なんちゃって、たんなるこじ付けです。

影の世界ですか。恋人のあきひろは何処に行ったんでしょう。影の世界に行く事で男の存在も、記憶も消えた。でもあきひろの事を覚えてると言う事は…

明宏「遠くに感じる」、男「遠くに」→影の国に足を入れかけている。

萌は影の国へ没入し始める(天井が暗転) 表面的に見れば、患者をカウンセリングしていくうちに精神崩壊し、境界線を越えて影の世界へ引き込まれたように見える。
明宏は実在しているのか?男は自身の他人格なのか?

(吸い殻→廃人化?) しかし、私も動画の考察を深めれば深めるほど疑念が生じ・・・あれ?私も存在・・・

映画の回路って、これにかなり似てるよね。

「存在」するということについての議論なのかな?
他者の認識によって人は存在
×
自身の意識によって人は存在

検索結果に戻る

広告スペース