放送回 | 1991年 秋の特別編 |
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キャスト | 林隆三 |
脚本・原作 |
太平洋戦争に従軍した経験を持つ会社員。
雑談の話題に真珠湾攻撃を持ち出すと
怪訝な顔をされる。
「……真珠湾航空パレードのことですか?」
「広島のドーム?ああ、広島大火災記念館ですね」
何時の間にか、太平洋戦争が
「なかったこと」にされていると知る主人公。
戦中戦後の体験談を語った所で
今の人々には受け入れられまいと
一度は諦観するが、
「『広島大火災記念館』が取り壊されることになった」
というニュースを見て憤怒する主人公。
史実を書き換え「なかったこと」にしても
死んでいった人々は戻ってこない。
きれい事だけではなく、実際にあった事を
きちんと伝えるのが歴史の意味ではないのか?
街に飛び出す主人公。
街頭で通りすがりの人を捕まえては問い掛ける。
「知ってますか?昔、日本は戦争してたんですよ!」
そ知らぬ顔で通り過ぎる人々。尚も主張する主人公。
「昔、日本は戦争していたんですよ……
覚えていないんですか?
ほら、そこのおじさん、知らん顔せずに
自分の体験をきちんと皆に伝えて下さい。
戦争は……戦争は確かにあったんだ……」
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コメントまとめ
あらすじだけ見ましたが、 とても秀逸で、残酷で、 でも現実にも十分ありうる話で、 このころのレベルの高さに驚嘆しています。 歴史を学ぶ者として、 何が消されていて、何が作られているのか、 しっかり見極めなければと思わされました。
このお話は、小松左京の「戦争はなかった」という短編が原作です。 コメントされている「むーさん」には大変申し訳ないのですが、「歴史の改編がどうのこうの」と言うお話ではありません。 突然、別の世界に飛ばされてしまった中年男のお話なのです。 小松左京ファンとしては、映像化されたことが単純に嬉しかった一本でした。
主人公は戦時中はまだ子供で、空襲や疎開は経験しているけど、従軍したのは父親で、
その父親が残した軍服や軍帽が消防団の物になっていた。
あと、ヨーロッパの戦争も無くて第二次世界大戦自体が無かった事になっていて、
幻のオリンピックに消えた1940年の東京オリンピックが開催されていたり、
日米獨(独ではない)の平和友好条約が結ばれていたりした。
コレって、戦争が なかったことになったら、
戦死していった人達も、最初っから いなかった
事になるってこと!? 何て話しだ…
似たような展開をグジュグジュ繰り返すだけ。非常に詰まらん話。
伝え方が悪いと伝わらない。いや、その伝え方の拙さを馬鹿にすらされる、がテーマ。戦争がどうのこうの、は一例に過ぎず。
人生は素晴らしいモノになる。 あなたがそれを恐れなければ
この後、主人公も消えていく……
パラレルワールドに迷い込むにしても、メリハリがなさすぎ。
最後はお決まりの警察登場(笑)
(もともと「世にも」は安易に警察出しすぎ)
主人公はパラレルワールドにでも飛んでいったんですか?
原作読んでいただけると分かりますが、
小松氏はイデオロギー的な動機で
この作品を書いてはおられないかと。
小松氏は戦争体験者ではありますが、
巷にはびこるブ左翼でも決してありませんので。
エピローグ 「彼が迷い込んでしまった世界は私達と違う歴史の道を歩んだ日本だったのか。それとも、人々が過去の記憶を失ってしまった日本だったのか。それは私にもわかりません。
しかし、歴史というのはもともと活字と映像の中にしか残らないものです。実にたよりないものです。
奇妙な力によってそれが歪められたとき、あなたの身にもいつこのような恐怖がふりかからないとも限りません。」
あの番組をみてから、20年経つのですね。今でも、林隆三が「あれは火事なんかじゃない。あれは・・・」と言った時に、原爆投下の映像がオーバーラップするシーンを印象的に覚えています。戦争の記憶が風化していく事の恐ろしさを「世に」風に伝えていると思います。
最後に警察官が登場するのですが、「世にも…」では「お前が悪い!」「右手の逆襲」などにも登場しており、まさに“お決まり”でしょうか…。
ここから本文ですが、太平洋戦争がなくてオリンピックが開催されていたり(実際には戦時中により中止)、広島のドームが「原爆ドーム」ではなく「広島大火災記念館」という名称になっていたり…。戦争が実際になかったとしたら、現在はドーム無し・2階建てになっている東京駅の丸の内側駅舎は今頃、完成時のドーム付き・3階建てになっていたでしょうか(その駅舎も現在は復元工事中ですが)。そして両国にある江戸東京博物館で展示されている太平洋戦争の関連物件は、どのように解説されるのでしょうか…。
物語に登場する広島の原爆ドームは戦前「広島産業激励館」と呼ばれていたといいます。
その原爆ドームに近い形で残されているものとしては、横浜市にある京浜急行本線「旧平沼駅跡」があります。これは戦争により営業休止、その後廃止されたものです。駅跡の上屋は最近撤去されましたが、現在でもホームや階段がそのまま残されています。横浜−戸部間にあります。
あったなあ、そんな話。
子供だったからそのまま何も考えなかったけど、いろいろなことを問いかける作品ですね。
本放送観ましたこれ。ジャンルとしてはホラーではないかな?
原作小説はともかくこれはパラレルワールドモノではないと思うんだけど。
パラレルだとすると全然恐い話じゃないし。
日常がいつの間にか怪異に侵食されていたパターンのお話だと解釈したんだけど。
違う歴史の世界ではなくて情報が改変されてしまった世界だから戦争で死んだ人が死ななかったことにはならない。別の原因で死んだことにされただけということなのでしょう。
確かに二次大戦では東京や広島のみならず日本中の都市がいくつも空襲で焼き払われたのにもう当時の痕跡は殆ど残ってないですし、劇中では原爆ドームがそういう意味で特別な存在とされているのでしょう。
これは放送当時も強い印象に残って今でも覚えている作品。これが放送された頃はまだ、戦争体験者が社会の中心にいた時代だったなというのを思い出した。(主人公が大手企業の部長だったり、会社の会長が特攻隊の生き残りだったり)
その年代が社会の中心から引退してきて、
このドラマにあるように、銀行のキャッチコピーに「爆撃」等の戦争を思い出す言葉を使うことに対する拒絶感とか、そういう空気を今の社会で共有することがあまりないと思うので
リメイクは難しいかもしれないけど再放送かなんかでもう一回放送してほしいなあと思う。
ラストの主人公の「忘れてしまったらまた日本は!」という絶叫とか、現在の方が視聴者の心に深く突き刺さる気がする。
小松さんらしい作品ですねぇ。それに比べてお前らときたら・・
エピローグのとおりの話だが、今現在が平和でありさえすれば過去の歴史などどうでもいい。
平和は各国の経済的安定と政治の公平性が確保された上で成り立つもので、戦争体験だけで考えても意味がない。
安定と公平が無ければ映像と活字の役に立たない歴史なんて一瞬で吹き飛ぶ。
積極的に忘れるべきとは思わないが、いつまでも記憶し続けるべきとも思わない。
忘れさられる怖さをよく表現したと思う。
初めて見た時はあまりに現実離れした荒唐無稽な話としか感じなかったが
今の日本では笑い話にできないね
中学生の頃、小松さんのSFが好きで、読了していたこの小説の話を従軍経験のある叔父に話したら、小松さんのことをよく知らなかったのか「うーん…その作者はきっと戦後の生まれなんだろうなあ」と(なんとなくつまらなそうに)言った。いや、叔父さん、それはですね…と言うのが躊躇われ、もやっとした記憶として残った。
今にして思えば、戦時中を知っていた叔父からすれば「あの戦争がなかったとしたら、なんて空想できるのは、まさに戦争を知らない世代だけだ」としか思えなかったのだろう。それほど、あの戦争はあの世代にとってまだまだリアルなものだったのだ。
それから何十年か経って、今、「戦争もできる国」にしようと、戦争のリアルさを知らない世代が頑張っている。ふーん…と思う。
あれ、これ最後に元の(戦争のあった)世界に戻らなかったっけ?
初めは戦争を語る世間にうんざりしてた主人公だけど
戦争の無かった世界に迷い込みその不自然さにおののく。
最後は元の世界にもどり、戦争を語る人の姿をみて
フッと微笑みながら「そうだ。戦争はあったんだ。」と
納得して広島原爆ドームを見上げるような画だった気が。
いや、周囲の人々に「日本は戦争をしてたんだ!!」って必死に説得するもまったく相手にされず最後は不審者として警察に取り押さえられてしまうオチ
最後連行されながらも男は叫ぶ
「分かってくれ!!」
確か連行していく男たちは憲兵だったというのがヲチ
国ぐるみで戦争隠蔽のため集団催眠をかけてなぜか
林隆三だけがそれからもれたというのが趣旨かな
最後の喫煙者もまあそれに近い
戦争が無かったら今のようになってるかなどころか、作中ではむしろ「戦争で負けてたかが40年で今のようになってるワケないだろ」って言われてるし、実際40年でよくバブリーな日本になったなと思うし、現実って不思議で面白い
戦争無かったら今のようになってるのかなはたして
40年でバブリーになれたのも朝鮮戦争特需のおかげなんだがな
戦争でボコボコにされ戦争で成長した国
それを勘違いして日本人すごい!とかホルホルしたり、こういう話を曲解して意味不明なこと喚くネトウヨのがよっぽど面白いよ
主人公が居酒屋で錯乱した後、会社での同僚との会話が今作のテーマであり、強い風刺だと思える。
ああいう状況で歴史に対して発狂てのがいかにも戦後の日本人らしい、現在の日本に大差が無ければ過去の過程や方法なんてどうでもいいじゃん
思想から離れて純粋にSFとして評価するべきってのは
同意しかねる。初めから道徳として書かれたメッセージ性の高い作品に思える。『昔のことなんて、今の生活に関係ない』ってセリフがあるらしい。真髄はそこなのではないか?
>>昔のことなんて、今の生活に関係ない』ってセリフがあるらしい
らしいじゃなくて、ソース出そうね。
仮にあったとしても、「戦争をなかったことにするな」と主張する主人公とは矛盾するから、それ以外の「なかったことにした人々」のセリフを皮肉ってる。
コレ、現代でも公文書を「なかったこと」にする人々がいるから。
あながち今の時代の人が観ても古さを感じない。
下の方は「政治的云々抜いても〜」と必死に前置きしてるが、結局「道徳的な結論ありき」と政治的な思想や道徳にケチ付けてる時点でお察しだが。
今に関係のない過去なんてない。 歴史が積み重なって、先人たちのおかげで今の美しい日本があるのだから。
今の美しい日本・・・負債もいっぱいあるけどね
これって「戦争が行われなかった」ではなく「戦争は行われたがなかったことになっている」という解釈でいいんかな
自分でも 主人公のように 本歴史を伝えられなくなったら
狂いそうになるし 未来に不安を感じてしまうよ このような狂った歴史と 本当の歴史を主人公のように区別して 本当の過去の歴史の誤ちを犯してはならない。
あの忌まわしい戦争は今でも夢に見ると言う人が時々居られます。無かった事にしたい、或いは忘れてしまいたい…感情を持った人間なら当然の事でしょう。然し戦争の事は絶対に忘れてはいけないのです…戦争と言う取り返しのつかない過ち…今を生きる私達は決して同じ過ちをおかしてはいけない。その為には何をするべきなのか。何をしないといけないのか。一人一人が考えないといけない事の様に思います。でも若い方は日本が戦争をしていた事すら知らないんですよね…
戦争は何も産まない…壊れた町と無惨な死体だけが残る…多くの若い命が無惨に散って行ったあの戦争の教訓を生かし切れていない。平和の礎に成った人は今頃嘆いてるよ
原爆ドームは広島だけではなく 長崎にもかつてはあったそうです。その当時は長崎の方の原爆ドームを保存して 一方 広島の方の原爆ドーム(今もある方)は取り壊す予定もあったと聞いた事があります。結局長崎の方が取り壊しになり 広島の方が保存となり1996年には世界遺産に登録されて現在に至っています。 この物語ではありませんが、かつてあった長崎の原爆ドームこそ忘れられた存在となっております。それこそが元浦上天主堂の残骸だったんです。