検索結果に戻る
仙人
放送回 |
1991.9.5 |
キャスト |
金山一彦 |
脚本・原作 |
芥川龍之介 |
ある店屋に仙人になりたい若者が志願してきた。
主人夫婦は
「5年経ったら仙人になる方法を教えてやる」
と若者を騙して散々こき使う。
5年後。
仙人になる方法を相変わらず尋ねる若者を
疎ましく思う夫婦。
殺してしまうつもりで高い木に登らせ、
てっぺんまで登りつめた若者に
「そこから飛び降りろ」
と命ずる。
意を決して飛び降りた若者は
空中で静止し、意のままに飛空術を
操れるようになる。
仙人になれたと夫婦に礼を言い、
彼方に飛び去る若者。呆然とする夫婦。
検索結果に戻る
コメントまとめ
タモさんの語りで話は進みます。 ちなみに店屋の主人は竜雷太さんではなく、 出光元さんでした。
修行をしたのは5年ではなく20年です。
これ、芥川龍之介のパクリと思ったけど、原作だった。
芥川さんの斬新さが伝わる。
思い込みなのか?それともその人の20年間の努力なのか?
しかしどちらに仙人なりたいという夢を持ち続けることでその夢が現実になったのかもしれませんね。
芥川龍之介の本に載ってた。
世にもの物語の一つの「精神力」という話に似ていて継続は力なりという事で、千里の道も一歩からで、一寸の光陰軽んずべからずではあるが、この物語と「精神力」という物語との違いはオチで散々騙してこき使った夫婦のインチキが主人公にバレないという事だ。
主人公の長年積んできた苦労はムダにはならなかったが「精神力」という物語と違って最後の最後まで騙しこき使った側のインチキがバレず、かつ死ぬ事も無いというのは割りに合わんだろうと思いました。
決心して木のてっぺんから飛び降りた若者が落ちずに空中に浮かんだ場面を見た時は感動したし、礼を言って空の彼方へ飛び去った若者を見て涙しました。
私は若者が彼方に飛んで行った別れのシーンが悲しかったのと、彼が仙人になれたのが嬉しくて涙したのだが、店屋の夫婦は彼にとって本当は涙を流して別れる相手ではなかったし、勿論店屋の主人夫婦にとっても彼は涙の別れをする人物ではなかったけど。
世にもは感動目的の話ではなく、奇妙な物語、もしくは怪談系分野だが、世にもで感動したのは、この物語だけだった。
毎週見てきたが。
まさに奇妙ジャン!!!!!
テレビで観た時は5年じゃなくて20年だったけど物理的には現実に有り得ない事でも、この話の教訓は「長年積んだ努力はムダにはならない」ということですね。
仙人になりたいというのを利用して彼を散々こき使った夫婦のうち特に奥さんの方は悪賢いが人間としていかがなものかと思います。
医者の嫁の奥さんが医者の旦那以上に賢いと思った。
まあ殺せず失敗の結果だったが。
BGMが面白い
タモリさんがナレーションをしているという貴重な話です。面白かった。
エピ「奇跡なんてありえない、大抵の人はそう思ってるはずです。果たしてそうでしょうか?単純なトリック撮影だと皆さんは思われたでしょう。物事には何かしら理路整然とした仕掛けがあるはずだと。それがどんな仕掛けだか分からなくても人はそう思い込んでます。そんな思い込みが本当に起こっている奇跡を見過ごさせているのかもしれません。」♪ガラモンソング・・・
世にも奇妙な物語では珍しいまんが日本昔ばなし風の話
嘘をついてこき使った夫婦にバチが当たることもなく主人公は仙人になったし平和な終わり方だと思う
芥川龍之介の小説でこんなのありそう…と思っていたら原作でしたね(笑)
未来を目指してゆけ!
ロボットマーチより。
この物語は奇妙かつ感動が同時の結末でダブル効果だと思う。
金山一彦は元々仙人で主人夫婦を最後に懲らしめたという解釈の方がいいと思います。二十年働き続けることなぞ常人の為せる業ではないと思うので。
↓元々仙人だったら医者の夫婦の家で彼らの為に無報酬でひたすら働いて人生を20年も無駄にするワケないじゃん。
それとも彼は衣食住のないこじきだったのか?
それにしたって元々仙人という設定ならそんなことする必要ないじゃん。
主人公は何で一般家庭で仙人に成れると思ったんだろうね。仙人に成りたいなら仙人に頼まないと。でも仙人に似た人は一杯居るけど本物の仙人は中々居ないけどね
後にセルフオマージュとしてオンエアされたとも受け取れる「精神力」も含めて、既出も承知の上且つ極例ながらも「信じる者は救われる」、この一言に尽きる作品だと思う。
范文雀によるヒステリックと言うべきか猜疑心に満ちた婦人の演技も印象的だったが、同女史は去る2002年に他界なされていたと今更知って驚いた。
遅ればせながら御冥福を御祈りするのみだな‥‥